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レアリズム・ポエティック

現代フランス映画の多様性には目を見張るものがある。従来我々日本人がもつフランス映画のイメージとは明らかに違う作品が次々に作り出されている現在、フランス映画と一口で言い括るのは非常に困難である。もちろん、その要因として外国映画からの影響も否定できないが、特にフランス映画史を振り返ってみるだけでも、その百年の歴史が生み出したジャンルや流派は非常に多彩である。各時代に主流があった。その各時代の主流が勢揃いしたのが現代だといっても過言ではあるまい。そういったフランス映画史上の主な流派が現在にもたらしている影響を見ることによって、その多様性の理解に近づいてみたい。今回から五回にわたって、年代の古いものから順に、ヌーヴェルヴァ−グ等の主な歴史的流れと、ここ数年の映画作品の中で特にその影響を受けていると思われるものとを比較する。そして、それらが映画鑑賞の手助けになれば幸いである。

第一回目の今回はレアリスムについて。

トーキー誕生時から第二次大戦後にかけて、レアリスム・ポエティックという流れがあった。マルセル・カルネやジャン・ルノアールが代表的な監督だ。この動きの特色として、テーマ面では、下層階級の一員を主人公としたり、貴族階級を風刺的に描くことによって、社会的題材を扱っているものの、シナリオ面での文語に近いセリフや演劇風の少々大げさな演技、そして美術面での薄暗く寂しい、常に雨に濡れた街角、霧に曇った駅のホームや港などのスタジオ撮影など、現実的ではない部分も多い。すなわち社会的テーマをストレ−トにではなく象徴的に表現している。カルネの代表作のシナリオを手懸けたジャック・プレヴェ−ルはもともと詩人で、彼の作り出すセリフ回しが我々のもつフランス映画のイメージのひとつ"セリフがお洒落"を生み出したのではないかと思う。

マルセル・カルネの"陽は昇る"(LE JOUR SE LEVE)は、レアリスム・ポエティックの代表作といわれている。ジャン・ギャバン扮する工場労働者フランソワが、恋人フランソワーズの愛人を射殺しその場に立て篭もり、警察の攻撃に対抗しながらその殺人の経緯を回想するというストーリーだ。この作品は回想シーンを中心にした物語構成で、回想そのものに序論(登場人物紹介と状況設定)、本論(問題提議)、結論(殺人動機の真相)という三部構成が存在する。加えて部屋の家具や人物たちを取り巻く小物、思い出の品などが効果的に回想シーンと現在を結んでいる。

ジャン・ルノアールの"ゲームの規則"(LA REGLE DU JEU)は貴族階級を舞台に、田舎の別荘での狩りとその後のパーティ−で繰り広げられる、貴族たちと召使いたちの恋愛騒動を描いたものである。この作品の見所は、画面手前の人物たちの行動と、画面奥の人物たちの行動を観客が一望できることによってスリルや笑いが生まれることにある。画面に対して、縦横に多くの人物が入り乱れ、彼らのドタバタぶりが一つの舞台劇のように描かれている。

第二次大戦後、イタリアに起こったネオ・レアリスムは、フランス映画史からは外れるが、レアリスムというジャンルにおいて重要であることと、その後ヌ−ヴェルヴァ−グ発祥に貢献するので、ここで少し触れておきたい。この流派は、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカ等の監督に代表され、それまでの映画制作に一石を投じた現代映画の源ともいうべき流れである。ファシズムの告発や貧困階級の日常問題などをテーマとし、野外撮影、アマチュアとプロの役者の両起用、自然なセリフ、ニュース映画に近いフレーム等が特徴として挙げられる。字数の関係上、作品の紹介はできないが、興味のある方は、ロッセリ−ニの"無防備都市"(ROME, VILLE OUVERTE)やデ・シーカの"自転車泥棒"(LE VOLEUR DE BICYCLETTE)を見ていただきたい。

この時期フランスでは検閲が強化され、ネオ・レアリスムのような政治、社会批判的な制作を避け、その影響はほとんど受けなかったが、レアリスムは、ベルトラン・タヴェルニエなどの作家によって受け継がれ、現在に至っている。近年のセザール賞やカンヌ映画祭の結果を見てもわかるように、数多くのレアリスム作品が高く評価されている。

九十七年のカンヌ映画祭に出品され話題を呼んだ"MARIUS ET JEANNETTE"は、タイトル通り、マリウスというセメント工場の守衛と、ジャネットという二児の母親、そして勤めていたスーパーマーケットをくびになったばかりの女性との、マルセイユを舞台にした大人の恋愛物語である。登場人物の社会的地位や失業問題など、レアリスム特有のテーマを扱いながら、南フランスの太陽の下で展開する二人の恋やそのまわりのほのぼのした人間関係を、南訛りの強い洒落た会話が包み、決して暗くなりすぎず軽いタッチで語られている。

今年公開された"KARNAVAL"は文字通り、ダンケルクという北フランスの街でのカーニヴァルを舞台とした、非常に嫉妬深い夫をもつベアと、マルセイユに旅立ちたいラブリというちょっと強引なアラブ系の青年とのラブストーリーである。この映画は一部、実際のカーニヴァルで撮影されており、ドキュメンタリーの要素を多分に含んでいる。常に失業と背中合わせにある被雇用側の実態を背景にカーニヴァルでの詩的映像をもって物語は進行し、そこでの登場人物たちのドタバタぶりは"ゲームの規則"を思わせ、レアリスム・ポエティック的要素をもった作品である。

昨年のカンヌで最優秀演技賞を受賞し、なおかつ今年のセザール賞で最優秀作品賞をはじめ数多くの賞を獲得したエリック・ゾンカ監督の"LA VIE REVEE DES ANGES"はご覧になった方も多いと思うが、確かに二人の女優の演技は見物である。この二人が、それぞれに強烈な存在感を持ちながら、演技しているという不自然さがなく、実際にその人物たちがそこで生活しているような印象を与える(これが多くの場合アマチアの役者を起用する目的である)ところが圧巻である。やはり、ここでも現代社会の若者の就職苦況をシビアに描写していて、ネオ・レアリスムの影響を受けた作品といえる。

この三作、そして現代の多くのレアリスム作品に共通して言えるのは、失業問題をはじめその他多くの社会問題に囲まれた生活の中で、登場人物たちは愛を探し求めていることである。コメディーが常に観客動員を支えてきたフランス映画界において、そういった意味では決して歓迎されないこのレアリスム、"LA VIE REVEE DES ANGES"の興行的、褒賞的両面での成功によって、今後の動向が見物である。

 
 

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