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ヌーベルヴァーグ

ヌ−ヴェルヴァ−グはご存じの方も多いと思うが、五十年代終わりに発生した革命的な世界映画史上においても非常に重要な動向である。もともとこの語源は、エクスプレス紙が若い世代を対象に行なったアンケートに付けられたタイトルで、それが一年後には新しい世代による新しい映画の代名詞となった。

この流れには主に二つの傾向があり、ひとつはカイエ・デュ・シネマ紙の若き評論家たち、もうひとつは短編映画やドキュメンタリーで活躍していた監督達だった。しかし、ここではカイエの評論家たちに焦点を当てる。ジャン=リュック・ゴダ−ル、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・リベット等、今となってはあまりに有名な彼らが、当時のフランス映画に対して異議を唱えるとともに、映画制作に乗り出した。

当時のフランス映画とは、カリテ・フランセーズ(フランス産良質)と呼ばれ、歴史上の一流派ではないが、レアリスム・ポエティック以降ヌ−ヴェルヴァ−グ以前の映画を便宜上そう呼んでいる。厳粛な組合制度のもとに(すなわちハリウッド的な生産性分業だ)、文学作品の映画化を中心に、贅沢な技術をふんだんに使ったスタジオ撮影が行なわれ、監督の名には大した重要性はなく、大スターたちの名が観客を集めた。

そんな映画に反発したヌ−ヴェルヴァ−グの作家たちは、イタリアのネオレアリスムに方法論を学び、ヒッチコックやハワード・フォークスの演出に憧れた。彼らは、若者の日常的な逸話、例えば恋愛関係であったり、自己と他者や世界との関係を、余計な人工照明を使わず、自由奔放なまでの軽快なカメラワークが街中を駆け巡るような撮影を行なった。そして、お金のかからない映画作りが彼らを成功へと導いた。これはもちろん、スタジオから街中に飛び出した(すなわち巨大なセットをスタジオに建設する代わりに、街中にすでに存在するものを撮影する)ことがひとつの要因だが、その他少人数の撮影スタッフ、無名の役者の起用など、今日のフランス映画の基礎のようなものがここから生まれた。

その中で、ゴダールの"勝手にしやがれ"(A BOUT DE SOUFFLE) はあまりにも有名だが、物語はジャン=ポール・ベルモンド扮するミッシェルがマルセイユで車を盗み、パリへ向かう。そこで彼はまとまったお金が手に入るはずだし、思い人パトリシアを連れてイタリアへ行くつもりだ。だが、その途中で追い掛けてきた警官を射殺してしまう。警察からの追跡をかわしながら、お金を手に入れることとパトリシアを説得することに奔走するミッシェルだが… この作品はトリュフォーの書いたシノプシス(映画の筋書きのようなもの)をゴダールが監督したものだが、撮影開始時いわゆるシナリオというものは存在しなかった。撮影が進むに従って少しずつゴダールがセリフを書き、それを役者たちに与えた。そういった行き当たりばったりの撮影が行われた結果、編集段階でつながらない部分も出てきた。そこで、ゴダールは「今から通常のカットつなぎは忘れよう」と編集チーフに提案し、あの非現実的な編集が生まれた。映画史上名高いこの作品はある意味偶然の産物であったわけだ。

一方トリュフォーは、物語をごく個人的な位置に引き下げた人物である。"大人はわかってくれない"(LES QUTRE CENTS COUPS) はトリュフォーの自伝的作品で、アントワンヌという少年は不仲であまり裕福でない両親と小さなアパートに住み、入り口のすぐ横のソファーの上で寝袋にくるまって寝起きし、学校ではフランス語の教師に目の仇にされる。そんな彼が繰り広げる無断欠席や家出を通して、誰もが多かれ少なかれ経験するような少年期を描いた作品である。アントワンヌの目から見た大人の不理解は、ともするとセンチメンタルになりやすいが、陽気な音楽とアントワンヌを演じるジャン=ピエール・レオのちょっととぼけた演技で、軽快に語られている。トリュフォーはその後、このアントワンヌの成長過程を同じ俳優を使って三本撮ることになる。

ゴダールを崇拝するレオス・カラックスは、常にゴダールに強く影響された作品を作ってきた。特に彼の長編第一作"ボーイ・ミーツ・ガール"は、ドイツの表現主義的なコントラストの強いモノクロの映像とオーバーラップの多用、そして従来の物語構成をもたない作品で、アレックスという青年がある女性に出会うが、その二人の間にラブストーリーは展開しない。タイトルどおり、ただ出会うだけである。もちろんその背景に、前の恋人との別離、唯一の友人からの裏切り、そして彼女と出会うまでのスリルが複雑に絡み合うわけだが。パーティーのシーンで、アレックスが手話で老人と会話する部分は、ゴダールの"気狂いピエロ" (PIERRO LE FEU) からの引用で、カラックスのゴダール好きがうかがえる。

八十年代終わりから九十年代前半に賭けて、多くの若い作家がデビューした。彼らは主に FEMIS(旧称 IDHEC)という国立映画学校出身で、主人公のプライヴェートな日記のようなストーリーが特徴であり、直接トリュフォーに影響されたと公言する作家はいないながらも、その影響を明らかに見て取れる。彼らの作り出す映画はヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれ、日本で公開された作品は極めて少ないが、クリスチャン・ヴァンサンの"恋愛小説ができるまで"LA DISCRÈTE) が代表作として挙げられる。

このヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグを支える一人、エリック・ロシャンの"UN MONDE SANS PITIÉ"はまさに、イポリットという青年の物語である。彼は、高校生の弟に麻薬を売らせ、その売り上げで生活していた。何もやりたくない、毎晩家に友達が集りどんちゃん騒ぎ、片っ端から女の子を口説くがすぐに飽きてしまう。そんな彼が偶然出会ったナタリーという女性と恋に落ちる。が、彼女はソルボンヌのエリート学生、あまりにも違いすぎる彼ら… 現代社会におけるある若者の姿、決してヒーローではなく、どちらかといえばどうしようもない男の子の姿が気取ることなく素直に描かれている。

元祖ヌーヴェル・ヴァーグ発祥から四十年の歳月が流れ、先に挙げた作家の中でトリュフォー以外は全員現役で活躍し続け、当時は同じ目的をもって映画作りを始めたにもかかわらず、その時間の中で彼らのスタイルは非常に多様化した。その彼らの初期作品に共通して言えることのひとつに、彼らがパリという街を愛し、その風景をカメラに納め、その美しさを観客に見せたかったことが挙げられる。それは、"UN MONDE SANS PITIÉ"のイポリットの部屋から見えるパンテオンやナタリーの部屋から見えるエッフェル塔、"ボーイ・ミーツ・ガール"のセーヌ川にも言えることである。

 
 

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